著者近影

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Profile

田中啓文(たなかひろふみ)

1962年大阪市生まれ。
2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で第33回星雲賞(日本短編部門)受賞。
2009年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。

 
 
 

代表作と、その作品についての思い

『銀河帝国の弘法も筆の誤り』

現在入手できない状態の本を挙げるのもいかがなものかと思いますが、この作品が私の代表作であることに間違いありません。

電子書籍化のお話も三社ほどいただいたのですが、表紙、帯、献辞、解説、巻末付録などなど本作全体が早川書房のSさんと二人三脚で作ったネタなので、不完全な形での再刊では意味がないのでお断りしました。
すいませんが古本屋を探してください。

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田中啓文の本棚

時代小説数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

まだ駆け出しの清水次郎長が経験を積み、次第に貫録をつけていき、ついには街道一の親分になる。
個性あふれる子分たちが一人またひとりと集まってきて、次郎長一家がだんだん大所帯になるあたりも八犬伝的でわくわくする。

次郎長三国志
村上元三

時代小説数あれど、このシリーズの面白さは図抜けている。

明治初期の大阪を舞台にするという設定の妙、綿密極まりない考証、「海坊主の親方」こと荒岩源蔵をはじめキャラの濃い登場人物の魅力、落語のように軽快な会話のキャッチボール、ユーモアあふれるストーリー、そして、飛び交う極上の大阪弁。

時代小説では人情や泣かせのおしつけが多いなか、笑わせて笑わせて、ほんのちょっと「情」が垣間見えるという書き方はお手本である。

大浪花諸人往来
有明夏夫

マンガ数あれど、このシリーズの面白さは図抜けている。

私が生まれ育った場所に近い大阪の下町を舞台に、個性の塊のようなキャラの数々がいきいきと暴れ回る。
途中からは、各巻の話はどうでもよくなり、ただただあの魅力的なキャラたちに会うため、あの楽しい空間に浸るために読んでいた。

それって、落語を聴くときと同じ快感なのである。
何度も聴いているネタをまた聴いても楽しいのは、話がどうこうではなく、あのおもろい連中(登場人物)にまた会って、ひとときを共有したいという気持ちなのだと思う。
だから、そういう気持ちにさせてくれない噺家はあかんということになる。

その意味でじゃりん子チエの作者は最高の噺家だと思う。
永久に続いてほしかったなあ。

じゃりン子チエ
はるき悦巳

児童文学数あれど、このシリーズの面白さは図抜けている。

最近はパディントンも、ミッフィーやキティちゃんのように「かわいいキャラクター」と化してグッズになっているが、じつはこのシリーズはとんでもない破壊力をもったギャグ小説なのである。
ロンドンにやってきたこぐまのパディントンが、ブラウン一家という典型的な「フツーの」家族の一員となるのだが、やることなすこと無茶苦茶で毎回とんでもない騒ぎを引き起こす。
要するにパディントンはクルーゾー警部でありミスター・ビーンなのである。
計算された秀逸なギャグが非常に上手く配列されており、読者を爆笑させる。

しかし、さすがに児童文学なので、最後はみんなが「よかったよかった」と思うようなハッピーエンドが待っていて、「くまはくまらないようにできているんですよ」という、わけのわからないダジャレで終わったりする。
おとなもこどももぜひ。

くまのパディントン
マイケル・ボンド

マンガ数あれど、このシリーズの面白さは図抜けている。

今はなきツルコミックスのアメリカマンガには、いわゆるアメコミとはちがう、シュールでシニカルなギャグに満ち溢れたものが多くて、大好きだったが、なかでもこのシリーズは強烈にブラックで、めちゃくちゃ好き。
すぐにひとの首をはねてしまうチビで暴虐の王さま、わけのわからない黒魔術を使う魔法使いのジジイとその悪妻、アル中の曲芸師、極度の怖がりの騎士などなどが繰り広げる三コママンガは、完全に私の好みなのです。

ツルコミックスでは、もちろんピーナツも好きだったが、B.C.シリーズ、ビートル・ベイリー・シリーズ、リトル・キング・シリーズ、アンディ・キャップ・シリーズなどにもハマりまくった。
ピーナツだけがその後他社で継続的に訳されているが、ほかのも絶対面白いと思うんだけどなあ。

イド王国の魔法使い(ウィザード・オブ・イド)
ジョニー・ハート/ブラント・パーカー

SF数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

ヒエロニムス・ボッシュの世界をSFとして表現するという、大胆というか、だれも思いつかないような着想が完璧な形で具現化している。
シュールでグロテスクで奇想満載で、ある意味ワイドスクリーン・バロック的でもあり、描写のひとつひとつが圧倒的で、しかもぐいぐい読ませるドライヴ感もある。
これこそ私にとってのSFだと言い切れる(ような気がする)。

中学生という時期にこの作品を雑誌連載で読んだことが、私のその後の進路を決定づけたと言ってもいいぐらいの強い影響を受けた。

神聖代
荒巻義雄

SF数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

まあ、正直言って、山田作品はすべて好きなのだが、どれか一冊と言われると、最初に読んだ本作をいつも挙げてしまう。
でも、「宝石泥棒」を挙げるときもあるな。
神狩り」「火神を盗め」「謀殺のチェスゲーム」「崑崙遊撃隊」「超・博物誌」「神獣聖戦」「闇の太守」「機械獣ヴァイブ」「神曲法廷」「長靴をはいた犬」「篠婆 骨の街の殺人」「ファイナルオペラ」……あーっ、きりがない。
とにかく好きなんです。

山田作品を読むといつも思うのは、こういう凄い小説を書けるひとが「小説家」だとすると、俺はいったいなんなんだ、ということである。
ほんと、ぶっ飛ぶよなあ。

どの作品も、まず、着想が凄まじすぎて、私ではとうてい思いつかないような、しかも、わくわくせざるをえないようなものばかりだ。
特徴的な文体によって構築される、まさに山田ワールドとしか呼べないような、スタイリッシュで独自の世界は、一種異常な魅力に満ちているのだが、すごいのはそれがいまだにずーーーーっと続いているということなのだ。
新作を発表するたびにあらたな驚きを与えてくれる山田正紀というひとは、永遠の私のアイドルです。

地球・精神分析記録(エルド・アナリュシス)
山田正紀

SF数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

私にとってのシルヴァーバーグは、グロテスクで異形な美しさに満ちた世界を描く天才である。
グロテスクなもののなかにも美がある、たとえばイソギンチャクとかクラゲとか、昔は「気持ち悪っ」「きしょっ」と言われいたような生物が、今やDVDになったりして、美として鑑賞されている。
蜘蛛やサソリや爬虫類なんて、最近は大人気だ。
プラナリアだってミミズだってナメクジだってカイチュウだってコウガイビルだって、よく見たら美にあふれている。
ただしそれは、じーっと見つめていると背筋が寒くなってくるような美だ。
廃墟とか廃屋なども、新しい異形の美がそのなかに発見されたのだ。

シルヴァーバーグの世界には、そういうものがぎっしり詰まっている。
外観だけではない。
人格的に破綻した登場人物の、そのいびつで嫌な感じのキャラ造形自体が美しいのだ。

アイデアの詰め込みかたはワイドスクリーン・バロック的でもあるが、ひとつひとつのネタが有機的に結合しているという点ではちょっと違うかも。

本作は、なぜか家に五冊ぐらいあって、なんだか古本屋で見かけるたびについ買ってしまうのだ。
SFシリーズとか原書とかも持ってるけど、でも、やっぱりハヤカワ文庫のあの表紙がいちばんしっくり来る。
大地への下降」も傑作だと思います。

夜の翼
ロバート・シルヴァーバーグ

SF数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

本書については「サンリオSF文庫総解説」という本に書いたのでそちらを読んでいただきたいのだが、これほど、登場人物が全員破綻したダメすぎる最悪の人間ばかりで、それらが憎しみ合い傷つけ合い、全員で地獄へ落ちていくような物語はなかなかない。

ディックの嫌~な性格全開のめちゃくちゃ好みの作品。
ディックは初期から晩年の作までほぼ全部好きなのだか、本書に比べれば、「ユービック」なんか普通の謎解きミステリじゃないでしょうか。
本書を読んでぜひ皆さん嫌~な気持ちになってください。

死の迷路
フィリップ・K・ディック

SF数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

もちろん「禅銃」も好きだし、創元から出たやつも全部好きだが、やはり最初に「どひゃーっ」と思った本作を挙げておこう。

学生のとき、新刊として手にして、電車のなかで一読し、「これは新しい!」と思ったのを今でも覚えている。
私のワイドスクリーン・バロック観(というほどたいそうなものではないが)は、普通の小説作法だと「10のアイデアを使うところを3に減らしなさい」と教えられるのが常だが、そこを百も二百も詰め込めるだけぎゅうぎゅうに詰め込んで、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的にすることによって、まったくかけ離れた、本来は「アサッテ」な感じのネタ同士がぶつかり合い、スパークしあって、新しいなにか、わけのわからんものを生み出す……というものだ。
古今東西のあらゆる情報をでたらめに詰め込むことで、それらが大爆発を起こし、ハレーションのようにまばゆい光輝が生まれる……可能性がある。

もちろんかなりヤバいやり方なので大失敗することもあるだろうが、本書は大成功した例だと思う。
私は、ワイドスクリーン・バロックがその後のSFの主流になるにちがいないと思ってわくわくしていたが、サイバーパンクというものが出てきて一瞬で駆逐されてしまった(ように思っているのだが、それは私の認識なので、歴史的にはそうじゃないのかもしれません)。

カエアンの聖衣
バリントン・ベイリー

伝奇ホラー数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

馬琴だ国枝史郎だというのはさておいて、現代の「伝奇」というものを語るには、半村良「産霊山秘録」「石の血脈」「妖星伝」などを真っ先に挙げるべきだろうが、その後、小説の方面では、「伝奇っぽい」ものはあっても、もろど真ん中ストレート直球の伝奇というのは、(荒巻義雄「空白シリーズ」など一部の例外を除いて)ほとんど見かけない。

私にとっての「伝奇」というのは、まず「トンデモSF的なオリジナルなアイデア」が根本にあり、それを本格ミステリ的な「謎→解明」という手法で読者に見せつつ、神話・伝承・古代史・オカルト・妖怪……などの要素をちりばめつつ、最終的にはアッと驚くような結末(犯人がわかるとかトリックがどうのとかいったものではなく、この世界の成立の根源が明らかとなるとかそういうレベルの)に導かれる……というもので、「根本のネタはSF」「作品の構造は本格ミステリ」「見せ方はホラー」というのが一番しっくりくるのだが、なかなかそういう小説には出会えない(民俗学ミステリみたいなものとはちがうのです)。

しかし、そういった要素をしっかり押さえた作品は、じつはマンガにおいて脈々と続いていて、その代表が諸星さんだと思う。「孔子暗黒伝」「妖怪ハンター」「諸怪志異」「マッドメン」……といった作品群はまさにそれを具現化しているが、なんといっても本作がその筆頭であって、この作品から受けた影響は計り知れない。

諸星さんにサインしていただいたジャンプコミックスを持ってるもんね。

暗黒神話
諸星大二郎

幻想小説数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

中学生のときにたまたま図書館で手に取り、ハマりまくった。
当時は、山尾悠子さんやイタロ・カルヴィーノなど、言葉でわけのわからない世界を紡ぎだすひとの作品が好きだったが、もっとも影響を受けたのが本作で、中学のときに書いた「走る男」という短編は、この本の第二話「ベゾアール・ゴート」のなかのフレーズを丸パクリしたものだったことを今思い出した。

今回、超久しぶりに再読してみて、やはり傑作だという思いをあらたにした。
シュールでユーモラスで残酷でシニカルでミステリアスで……もう絶品ばかり。
新井苑子さんの挿絵も素晴らしいので、ぜひ文章と一緒に味わってください。

街の博物誌
河野典生

幻想小説数あれど、この作品の面白さは図抜けている。

正直、筒井さんの作品はどれもこれもすごいのだ。
我々後輩がなにか思いついて、しばらく書いたところで、「あ、これ、筒井さんの○○と一緒やん」と気づき、筆を投げることがしょっちゅうあるぐらい、先になんでもやっておられるのが筒井さんなのである。
しかも今でもめちゃくちゃな最高の作品を書きまくっておられるわけで、もうどうにもならんぐらいのひとなのだが、数多い作品のなかで一作だけ選ぶとすれば、この短編ということになる。

幼児の妄想のような一種の「たわごと」を見事に小説化した作品で、普通ならこういうことを思いついても、その場の笑いで終わってしまうと思うが、筒井さんにかかると、こういう風に具現化されるわけで、その手腕には驚かされる。
何度読んでもうっとりしてしまうほど好きな作品です。
先日、北野勇作が朗読会のなかで「熊の木節」を歌っていたが、それぐらい(どれぐらい?)我々には影響を及ぼしている傑作なのであります。

熊の木本線
筒井康隆